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ラプソディー(5) ラプソディー(5) 美姉妹といっしょ♪~新婚編
 
 カレンダーが九月に替わり、宏が若くして失職の危機を告げられていた、丁度その頃。

「――以上が、この会社の主たる仕事よ。貴女達は今後、これらフライト業務を支える事務部門に携わってゆくの。ここまでで何か質問は? どんな些細な事でも構わないわよ? 福利厚生や社食のお薦めメニューとか」

「「……………………(フルフル)」」

 晶は丸の内オフィスの一角にある応接セットに座り、首を横に振る新入社員二人を前に「あたしが飛行業務部長よ!」とばかり、凛とした態度と表情を見せながら業務内容を告げていた。

 ――濃紺のタイトスカートから伸びる、黒のストッキングにコーティングされた長い美脚は見る者全てを魅了し、ボン、キュッ、ボンのメリハリのあるボディラインはキャリアウーマンである事を忘れさせるには充分な迫力で見る者全てを圧倒する――。

 そんな、スーパーモデル以上の我が儘ボディを今はお堅いビジネススーツにキッチリ押し込み、腰まで届く長い髪もアップに纏めているので一見すると昭和の御局様みたく見えてしまうのは……この際、嫌々目を瞑る。

(こうしないと偉くて賢い部長らしく見えない、って詩織(しおり)ちゃんが何度も念押しするんだもんなー)

 自分としてはもう少し楽な格好をしたい――例えば髪を下ろして上着を脱ぎ、ブラウスのボタンを上三つ外してタイトスカートの裾から三十センチ程度までスリットを入れたい――が、周囲の目(特に副部長の詩織ちゃん)がそれを許してくれないのだ(一部女性社員と全男性社員は諸手を挙げて許すだろうが)。
 ことに、今日は新人との初顔合わせなので絶対的な印象付け(インプリンティング)が必要なのだそうだ。

(あたしが権力を笠に着て人を動かすのを嫌ってるって知ってるくせに、詩織ちゃんってば何でも形から入るんだから……。そんなの、日々仕事してる内にすぐバレるのにねー)

 心の中でブチブチ文句を言うが、それでも副部長の顔を立て、新人に「示し」を付ける意味でも(この点も渋々納得した)、晶は仕方無く偉ぶるしか無かったのだ。
 その威光を示す相手は、テーブルを挟んだ対面で広げられた資料(業務内容の説明に社外向パンフレットを使った)を前に畏まっている。
 大学を卒業した直後だけあって、汚れや皺の無い新品のリクルートスーツが目に眩しく実に初々しい。

(あたしも、こんな若かりし頃があったのよね~。初めて勤める会社の雰囲気に呑まれて顔が強張ってね~。……つい昨日の事だけど♪)

 昔の自分と緊張する目の前の新人が重なり、その穏やかならぬ心中が手に取るように伝わって来る。
 もっとも、この新卒二人は部長の晶と三歳しか違わない。
 如何に晶がこの三年の間にリニア並み(光速以上?)のスピードで昇進したのかが判るだろう。
 それだけ晶のポテンシャルが他を圧倒する程に飛び抜け、社会的にも認めさせている証明にもなるのだ。

(だから偉振るベテランって感じより、歳の近い気さくな先輩の雰囲気で接しないと一線を引かれちゃうわ)

 そんな思いもあって、晶は部長職としてでは無く、先輩OLとしてフレンドリーに笑い掛けた。

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。何も、取って喰うとかしないから。……あ、社内にはソッチ系の女性(ひと)が何人かいたような……いないような?」

 口調も柔らかく発したその言葉に、パーティションで仕切られた背後のオフィスから「なんでやねんっ!」「ナンでバレたっ!?」「……ぐへへ♪」など男女入り混じった複数の声が上がるものの(しっかり聞き耳を立てていたようだ)、目の前の新人からは丸っきり応答が無い。

「……………………」

 無言でじっと見つめて来るひとりは、中京は名古屋出身の織田信子(おだのぶこ)。
 背中まで真っ直ぐ垂らした黒髪を首の後ろで水色のリボンで纏めた、線が細い女の子だ。
 瓜実顔で目鼻立ちが整い、黒目がちな瞳とピンク色の薄い唇が相まって日本人形的な美しさを備えている。
 スーツから覗く肌がとても白く、学校の図書館に必ずひとりはいそうな(手元の資料では小中高と図書委員とある)、如何にもおとなしい文学少女、と言った印象だ。

「……………………」

 そして黙ったまま視線を外さないもうひとりは、東北は仙台出身の伊達政美(だてまさみ)。
 濃い栗色の髪を黄色のリボンで長めのポニーテールにした、線がしっかりした感じの女の子。
 やや丸顔で目鼻立ちがハッキリとし、やや大きめの瞳とふっくらとした頬が愛らしい、今時の娘(こ)だ。
 長らく運動部に属していたらしく(手元の資料では中学から大学まで女子サッカー部在籍とある)、日焼けした褐色の肌とタイトスカートから覗く締まった脚が目を惹き、如何にも健康的なアウトドア少女、と言った印象だ。
 印象なのだが。

(おいおいおい、なんなんだ、この、無言の間はっ!?)

 晶の背中に冷や汗がひと筋、タラ~リと流れ落ちる。
 この二人、極度の緊張にある所為か、初めて顔を合わせた時から表情がずっと硬いままだ。
 しかも所属長自らがにこやかな表情でジョークをかましても、眉ひとつ動かさない。

(うっわー、何だか取っ付きにくい新人ねー。お世辞言ったり愛想笑いしたりするでも無く、ニコリともしないなんて)

 こめかみを引き攣らせた晶がたじろいでも、それは仕方無いだろう。
 そもそも人としての受け答えが全く無く、時折、油の切れたブリキのおもちゃみたくカクカクとしか動かないのだ。
 これでは相手をする方も戸惑ってしまう。

(緊張してるのかナンなのか知らないけど、まるで周囲への対応が無さ過ぎじゃない、この娘(こ)達? バイト未経験は仕方無いとしても、委員会や部活はやってたんじゃないの? 学校で先輩後輩教師達にどう接して来た? まさか、小学校からこのまんま、なんてコトは……)

 二人の、社会人としてどうかと思う反応に冷や汗がタラタラからつつつ~と流れ、眉根に皺が僅かに寄る晶。
 筆記試験と面接をした上で採用したのは上部組織――親会社の人事部なので二人の採用に至った判断までは知りようが無いが(手元にはエントリーシートのコピーがあるだけだ)、これでは本当に有名ブランド大学に現役で入り四年で卒業したのか疑いたくもなる。

(なんで、こーゆー、ひと癖もふた癖ものある人間をあたしに押し付けるかな? これも全て社長が悪いっ!)

 晶の怒りの矛先がこの会社の人事も司る社長――この会社の親会社である外資系企業の日本支社の会長で、晶が秘書課課長時代の上司でもある――に向く。

(社長ったら、最初(はな)からあたしの部署(トコ)に配置しようと企んでたに違いないわっ! でないと、こうも手際好く人員が来る訳無いしっ!)

 晶は思い出す。
 それは、ほんの小一時間前――晶が出勤した直後の事だ。
 社長から『今日の午前九時にルーキー二人が行くから宜しくね~♥』と、どこからどう見ても巫山戯ているとしか思えない社内メールが送られて来たのだ。

(まったく……どこの世界に『デフォルメされた可愛いクマさんが画面を所狭しと動き回るテンプレート』を業務連絡で使う上役がいるのよ! しかも吹き出しの中に文章があってハートマークまで付いて……最初、冗談かと思ったわよ!)

 当然、速攻で親会社が占める上のフロアに階段三段飛ばしで駆け上がり、奥の社長席までダッシュして鼻息荒く経緯(いきさつ)を問い詰めると、見事なまでに禿げ上がった布袋様似の社長はひとしきり豪快に笑ってから堂々と曰(のたま)った。

「だって、人員が欲しいって言ったの、晶クン自身じゃないか。だから融通を利かせて配属予定日を一週間前倒しして配置してあげたんじゃよ。ま、今日まで内緒にしてたのは、ちょっとしたドッキリだ♪」

「~~~~~!!」

 眼光鋭く無言の圧力でお茶目な社長を謝らせたのは、まぁ好いとして(ほんのちょっとだけ溜飲が下がった)。
 そこで引き合わされた新人二人を引き連れ、このフロアに戻って現在に至る。

(オマケに、二人に会社説明する前に嬉々とした詩織ちゃんによって昭和の御局様スタイルにさせられたのには閉口したけどねー。詩織ちゃんってば、見た目は今風のキャリアウーマンだのに、思考回路が丸っきり昭和世代なんだもんなー)

 今後、ニヤリと笑った後の詩織のコーディネイトは断固拒否しようと硬く心に誓う晶だった。

(それにしても、この二人から新社会人らしい熱意とか意気込みが全く感じられないし……そもそも、ちゃんと学校を真っ当に卒業したのかも怪しいわね)

 意識を目の前の二人に戻し、疑いの眼(まなこ)で本人直筆のエントリーシート(のコピー)を見るも、確かに小中高大と順当に過ごしたらしく、今年で二十三歳と記されている。

(ってコトはこの二人、千恵ちゃん若菜ちゃんのいっこ下で、ヒロのいっこ上、飛鳥ちゃんの三つ上で美優樹ちゃんとは六つ上……な筈だけど、どう見てもこの二人の方が幼く見えちゃうわねー)

 屋敷に集う同年代、特に現役女子大生の飛鳥と美優樹を想い浮かべると、その差異が歴然としているのが判る。
 目の前の二人は社会慣れしていない所為もあるのだろうが、身に纏う雰囲気(オーラ)がまるで中学生なのだ。

(飛鳥ちゃんは見るからに元気溌剌、明朗活発な女子大生だし、美優樹ちゃんはゴスロリ衣装纏って人見知りの気(け)があるけど、それを差し引いても十七歳にして二十代前半並みに大人びて周囲との接し方も万全だし。……あぁもう! 二人の爪の垢を煎じて今すぐ飲ませてやりたいわっ)

 この新人二人を見ていると、屋敷の女学生コンビは極めてまともな人間なのだと好~く判る。

(飛鳥ちゃんと美優樹ちゃんは、当時大学一年のあたしと初めて会った時はまだ中学生と小学生だったけど、きちんと挨拶し言葉も交わしてたわよ! だのにコヤツらと来たら、戦国武将みたく一丁前な名前してンのに、何、この覇気の無さはっ!? これじゃ天下は取れんぞっ!)

 晶の胸に社長への恨み辛み(?)と二人への物足り無さが見る間に鬱積してゆく。
 そして終(つい)には――。

『あんたら少しは返事せいっ! 二人揃って信楽のタヌキさんかっ!!』

(――な~んて、テーブルに片足載せて拳を突き付けたら、どんなにスッキリするコトか!)

 流石に、身内のほのかや若菜を相手にするように感情をぶつける訳にもいかず、晶は喉まで出掛かった言葉を寸前で呑み込んでいた(ただ、膝に置いた手が中指を立てた握り拳になっていたので咄嗟に隠した)。

(それにしてもヤバかったわね。もう少しで我を忘れて叫ぶトコだったわ。ま、あたしだって、「怒る」と「叱る」の区別くらい昔から付けられるってコトよ♪ ――なんて自画自賛してる場合じゃ無いわね)

 晶を好く知る者(宏や千恵、ほのか)が見たら、鬼のような形相で怒りの感情を必死に押し殺して無理矢理微笑んでいると指摘されそうだが、幸い(?)、目の前にはお地蔵さんのような新卒者が二人、いるだけだ。

(ともかく! どんな人材であれ、ここに来た以上は二人の性質を見極め使いこなすのが上司たるあたしの役目! たとえ能力がコンマゼロゼロイチでも、ゼロやマイナスよか遥かにマシだからね! 第一、清濁併せ呑むのが企業人事の最低モラル! あたしはそれ以上の事を完璧に実践してやるんだからっ!)

 部下数十人を率いる長(おさ)として、そして人生で初めて新卒者を担当する晶に、沸々と闘志が湧き上がる。
 社会人として揉まれる内に鬱積した様々な想いを闘志に変換させるスキルが発動したのだ。
 負けず嫌いで常に人の先頭を歩きたがる晶だからこそ修得したスキルとも言えるだろう。

(あたしの下(もと)に来たからにはこのままでは困るし、何より一人前の社会人に仕上げないと気が済まないわっ! こうなったら、業務を通じて徹底的に洗脳し改造し鍛え直してやる!)

 ほのかや宏が聞けば管理職としてどうよ、と苦笑いして突っ込んで来るだろうが、表情はあくまでクールで出来た管理職を装い、人となりを示すようフレンドリーに、そして穏やかを通す。
 鼻息を荒げ、拳も振り上げジャンヌ・ダルク張りに気勢を上げている内心を悟られぬように。

「ま、初めて尽くしで緊張するなと言う方が無理かもね。当面は無理に仕事を覚え無くて好いわ。この先三ヶ月、年内は習うより慣れろ、よ。あたし達の仕事を色々手伝いつつ自分の適職を探り、同時に職場の雰囲気に馴染み、仕事仲間の顔と名前が一致するようにすれば好いからね♪ OK?」

「「……………………(こくこく)」」

 しかし哀しいかな、この二人の新人は、目は決して逸らさないものの一向に言葉を発しない。
 むしろ、首の後ろの水色リボンと跳ね上げたポニーテールを縛る黄色リボンの上下動が代弁している有様だ。

(こ、こやつら……『はい』ひとつも言えんのか! あぁ、先が思い遣られる……)

 掴み所が微塵も見当たらない新人に頬を引き攣らせ、冷や汗をドバドバ垂らす晶だった――。


     ☆     ☆     ☆


 宏が東京湾に程近い職場で失職の危機を告げられ、晶が丸の内のオフィスで新人相手に悶々としていた頃。
 その東京湾を挟んで真向かいに位置する羽田空港の企業向けハンガー(格納庫)に隣接する事務所では、主任(チーフ)パイロットのほのかが隣席の副操縦士(コ・パイ)の肩に手を置き、厳かに告げていた。

「澪(みお)ちゃん。明日(あした)の板付便は全て澪ちゃんが仕切ってくれ。オレはコ・パイとして指示通りに動くから」

「えっ!? わたしが、ですか?」

「そうだ。明日はPIC(Pilot In Command――操縦責任者)役として飛んでみ♪」

「………………」

「なんで目を見開いて絶句する? 今迄、キャプテンシート(左席)でフライトした事、数え切れない位にやったじゃん」

「そ、それは片道だけです! でも、明日は機長役で往復、しかもブリーフィングからとなると……」

「何を躊躇う? これまで何度もやった様に天気図を読み解き、エアルートとダイバード先を決め、燃料計算し、最後に確認するだけじゃん。澪ちゃんにとって目新しい事でも殊更難しい事でも無いだろ? 板付だって何度も飛んで往復のエアルートやルート上の各空港マップを熟知してるんだ。それこそ、寝てても飛ばせるだろ?」

「それは……まぁ、そうですが……」

「なんだ、俯くほどに自信無いのか? それともオレがコ・パイ役だと不満か?」

 煮え切らない態度を取り続ける澪を発奮させるべくニヤリと笑うも、眉を大きく八の字に下げた澪は挑発に乗って来ない。
 普段の明朗闊達な澪からすると、かなり及び腰なのが判る。

「どうした? 思ってるコトちゃんと言わんと、何も伝わらんぜ?」

 ほのかは、今度は優しい口調でニコリと微笑む。

 ――アップに纏めた金髪が灯りを反射して煌めき、澄んだ碧眼と白い肌、そして彫りの深い美顔が見る者全てを魅了する――

 ほのかを知らない者が見たら、かような女神が救いの手を伸ばしたように映るだろうが、それはさておき。
 何だか教師が押し黙る児童を指導するかのようなシチュエーションになっているのは――気のせいだろうか。
 と、ここで澪が顔を上げ、攻勢(と呼べるのならば)に転じた……ようだ。

「あ、えっと、その……でも、どうして急にPIC役になれと? わたしがキャプテンシートで操縦するのは、コ・パイとして経験を積む為の、単に仕事の一環だと思ってましたが……」

 上目遣いで質問を質問で返して来たが、この際、目を瞑る。
 無反応よりずっと好いからだ。
 ほのかは椅子に座ったまま少し前屈みになり、含み聞かせるよう、ゆっくりと語り出す。

「うん、今迄はそうだったけど、今度は違う。そろそろ澪ちゃんにキャプテン(機長)になる為の経験を本格的に積ませる頃合いだと思ってさ。今後は機会あるごとにPIC役として飛ばそう、って副所長と相談してたんだ。つまり、キャプテン昇格プログラムを正式に受けないか、ってコトだ」

 ほのかと澪の机の背後にいる女上司が応援するかのように、澪に向かってにこやかに頷きサムズアップする。

「わたしが……キャプテンに、ですか?」

 信じられないのか、瞳を大きく見開く澪。
 それでも昂ぶって来ているのだろう、頬がほんのりと紅潮してゆくのが判る。

「そうだ。澪ちゃんは既にコ・パイとしての資質と経験値が完璧に備わってる。主任副操縦士として仲間を統率する人徳もある。オマケに、技量に至ってはオレと同等の、世界中どこでも通用する腕前も持ってる。だから、次の高みへステップアップする絶好のチャンスだと思うんだ」

「世界の……どこでも? 買い被りですよ。それに……スケールが大きくて何だか想像出来ません」

 ここに来て、ようやくだが表情を和らげ、小さく笑う澪。

(うんうん♪ やっと笑ってくれた。人を大きく育てるには褒めるに限るよなぁ♪)

 どうやって馬に水を飲ませるか――では無いが、次第にこちらの意図する方向へ向いて来た嬉しさから自画自賛するほのか。
 それでも、まだ本人の口から直接、『イエス』を引き出してはいない。
 キャプテンほのかは手を替え品を替え、押してダメなら引いてみろ――とばかり、徐々に本丸へと迫ってゆく。

「それとも澪ちゃんは一生、コ・パイのまま過ごすのか? キャプテンとして世界中の空を自らの意志で飛び回りたいとは思わんのか?」

「それは……その……そうは思いますけど……」

 眉を下げ困ったように言い淀む澪だが瞳は煌めいているので、多少なりともキャプテンと言う立場に魅せられているのは確かなようだ。

(ふむ、どうやら四本線――肩と袖にある金色の線で機長の証しだ――になる事を嫌ってはいないようだ。澪ちゃんはキャプテンと呼ばれて満更じゃない、と)

 常にコンビで飛んでいる後輩の好感触に微笑み、先輩パイロットとして優しい目で見つめる。

「けど……なんだ? 思ってる事、全部言っちまいな。オレが全部受け止めるから♪」

 寛大なキャプテンらしく両腕を広げニコリと笑うと、目の前の後輩は決心したように小さく頷いた。

「えっとですね。まだ責任パイロットとしての心の準備が全く無くて。それにわたし……」

 澪は言葉を句切ると、極僅か目を逸らせてから再びほのかの碧眼を真っ直ぐに捉えた。

「今はほのかさんと一緒にフライトするのが楽しいんです。ほのかさんの隣で紺碧の大空を駆け回るのが嬉しいんです。この先数年はほのかさんのコ・パイとして一緒に飛び続けたいな、って思ってたんです。だから、いきなりキャプテンに、って言われて、正直、戸惑っちゃって」

 小さく笑った澪の顔がここで少し俯き、声のトーンも下がる。

「それに……わたしがキャプテンになるって事は、わたしがほのかさんの元から独立し、他のコ・パイさんと組んで飛ぶって事になる訳で、そんなの、想像付かなくて。……あ! だからって他のコ・パイさんが嫌だとか不満だとかって意味じゃ決して無くて! 単に、わたし自身の、ほのかさんと離れたくないって我が儘な気持ちなんです」

 一気呵成に語る真摯で熱い瞳に、ほのかは胸の奥が急激に燃え上がったかのように熱くなり、同時に涙腺が少し、緩んでしまった。

「嬉しいコト、言ってくれるねぇ♪ だけど、いちパイロットとしてフライトプラン作成から帰着後のフライトロゴの記入や報告書作成迄、全て自分ひとりでこなせる技量と判断力を備える事も必要だ、ってコトは、判るよな?」

「……はい。キャプテンに何かあった場合、コ・パイのわたしが全てこなさねばなりませんから」

 ここで責任の重さ・重大さを痛感しているのだろう、再び澪の表情が硬くなり、視線を下げた。
 ほのかはその隙に碧眼に滲んだ雫を両手で素早く拭い、ひと息吐(つ)いてから軽い調子で言葉を続ける。

「な~に、今迄だって同じ事、してるじゃん♪ 普段通りにすれば好いだけだ。それに誰だって『初めて』はあるんだ。生まれついての『ベテラン』とか『プロフェッショナル』など、オレを含めてこの世に誰も存在しない」

 そうだろ? と微笑むと、視線を戻した澪もぎこちなくだが大きく頷く。

「だから緊張したり恐れたり、時に間違った判断下すのは恥ずかしい事じゃ無いぜ。むしろ、そうやって様々な場面で色々な経験を積み重ねて行くのが正解なんだ。そして、それらエラーをカバーする為に教官のオレがいるんだからな♪」

 安心させるよう胸を張ると、背後から「自信満々ねぇ」とクスクス笑う声が漏れ聞こえて来るが、今は無視する。

「それにオレだって、『初めて』の時は緊張してビビッたし、ナニをどうして好いか判らんかったし心臓がバクバクして我を忘れる程にテンパってたぜ」

 いつも自信満々の機長が言う台詞とは思えなかったのか、意外そうな顔をした澪が「そうなんですか?」とばかり、目を丸くした。
 ほのかは頷きつつ、ニンマリと笑う。

「でも、今では立派に宏の妻として濃密な夜を過ごしてるぜ? なんたってまだまだ新婚ホヤホヤだし、今ではナニをどうすれば宏を満足させられるのか余裕で判るまでになったしな♥」

 と、鼻に掛かった甘い声で意図的に話を少し(かなり?)、ずらした。
 当然、食い入るように聞き入っていた澪の眉根に見る間に皺が寄り始めた。

「はい? ナニを言って――って、そっちの『初めて』じゃありませんっ! な゛、何、ご自分の初エッチをこんなトコで暴露してるんですか! わたしは真面目に――」

「いや~、澪ちゃんが余りに引き攣って強張った顔してたから、ちっとばかし緊張を和らげようと恥を忍んでだな――」

 ほのかの言う『初めて』がナニを指すのか悟ったらしく顔を真っ赤に染め躍起になる澪と、のらりくらりと突っ込みを躱すほのか。
 背後で見守っていた副所長はシリアス&感動話からの急転直下に動きを止めたままポカンとし、事務所に集う面々は美貌の機長の赤裸々なこぼれ話(?)に顔を赤らめたり(全女性陣だ)前屈みになったり(全男性陣だ)して慌てふためいている。
 しかし、常日頃からコンビで操縦(フライト)しているお陰か、澪は屈する事無く果敢に突っ込みをかまして来た。

「し、知りません! そーゆーエロい話は家に帰ってからダンナさんに言って下さい!」

「いや~、澪ちゃんが『初めて』の意味をどう捉えるか見て見たかったんだが、すぐ判ったから大したモンだ♪」

「あ、あんなの、誰だってすぐに判りますって! まったくもう……ほのかさんってば、すぐにエッチぃ方向へ話を向けたがるんですから……そーゆーのは会社(ここ)じゃ無く、ご自宅で言って下さい! 少なくとも人前で言う台詞じゃありませんよ、もう……っ」

 視線を外し心なしか頬を赤らめ口籠もるのは――内容が内容なだけに年頃の女性では口にしづらい所為だろう。

「あははははっ! やっと、いつもの澪ちゃんに戻ったな。どんな状況であれ、その頭の回転の早さとキレの好さこそが澪ちゃんの澪ちゃんたる所以なんだ。特にそれはフライト中に危機的状況に陥った時に、絶対的な強みになるんだ。だからPIC役になっても、その調子で飛ばし続ければ機長昇進なんてあっという間だぜ♪」

「あ……」

 ここで初めて、澪は自分が素の状態に戻っていると知らされたのだった。

「それにな。澪ちゃんはひとつ、思い違いをしてる」

「はい? 思い違い……ですか?」

「そうだ。澪ちゃんは、自分がキャプテンになったらオレとはもう飛べない――そう思ってるようだが?」

 その通り、何を今更、と訝かしむ澪に、ほのかは勿体付けるようにひと呼吸置くと力一杯、ニヤリと笑ってから軽い調子で曰(のたま)った。

「澪ちゃんはすっかり忘れてるようだが、航空業界には『ダブルキャプテン』なる言葉があるんだな~♪」

「あっ!!」

 機長昇格話よりもこっちの方が余程、青天の霹靂だったのだろう、澪はこれ以上無い位に目を見開き、口も拳が入るのではないかと思う位、あんぐり開けて固まっている(携帯電話で写真を撮っておけば好かったと後々後悔した)。

「判ったようだな。そうだ。『機長の資格を持った二人以上が乗務』する事をダブルキャプテンと言うだろ? だから澪ちゃんがキャプテンに昇格したからと言って、直ちにオレ達が別々で飛ぶ事は無いってコトだ♪ コ・パイ同士ではワンインチ(約三センチ)すら飛べないが、キャプテン同士なら今迄同様、世界中どこへだって飛んで行けるんだぜ♪」

 ここでひと息吐(つ)いたほのかは、澪の黒曜石のような澄んだ瞳をじっと見つめてから言い切った。

「それにな。オレの相棒は澪ちゃんだ。キャプテン澪になっても、オレとのコンビは不滅だぜ♪ オレが、シップ(飛行機)を降りない限りはな」

 パイロットを引退するまで一緒なのだ、と安心させるよう自分の気持ちを伝え、ガハハと豪快に笑っていると、フリーズの解けた澪から大きな溜息が漏れた。

「ふぅ~~~~。やはり、ほのかさんには全然敵いません。流石、腐ってもキャプテンです。物の考え方や人への接し方など、わたしには到底及ばない、まだまだずっと高みにある女性(ひと)です。だから一緒にフライトするのが楽しいし、勉強にもなるんです♪」

 澪の今日一番の満面の笑みに、ほのかの気分も鰻登りの急上昇――。

「ムフフ♪ おだてたってナニも出ないぜ――って、誰が腐ってるってぇ!?」

 ――する前に、聞き捨てならぬ台詞とキャプテンを敬わないコ・パイには必ず突っ込んでおくほのかだったが……。

「地上にいる時の思考回路がまるで腐女子です。しかも、ご結婚されてから日増しにエッチぃ度合いが進んでます。さっきだってそうですし」

 半目で睨まれてしまい、しかも心当たりがおおいにあるだけに(先程の『初めて』談義とか)、たちまち気勢が削がれてしまった。

「オイオイ……、エッチぃ度合い――って、何で『腐女子』って言葉、知ってんだ? もしかして澪ちゃんも――」

「な、内緒ですっ!」

 口を押さえ慌てて言い繕う澪に、エッチぃアンテナが即座に反応し(前髪は立たなかったが)、ニンマリ笑うほのか。
 何しろ、屋敷には「その手」に精通した面々がチラホラ、いるのだから。

「あはははっ! ま、オレは個人の趣味にまで首を突っ込まないから。それがたとえ、どんな趣味でも、な♪」

「だ、だから違いますってっ! ニヤニヤするほのかさんのその半開きの目、ぜ~~~ったい、誤解してます! わたしは言葉として知ってるだけで、決して、晶さんネコ、ほのかさんタチに萌え~♪ とか考えてませんからっ!」

「……考えてんじゃん。それに、フツーの人ならネコ、タチ、なんて言葉使わんし、そもそも知らないぜ?」

「あ゛」

 誰がどう見ても不審に思う程に狼狽え、挙げ句に絶句し固まった澪の完敗となった。

(何たって家(うち)にはレディコミ愛読者、一杯いるからな。特に飛鳥ちゃんとか多恵子さん、とかな)

 ミニスカ&黒のオーバーニーソックス姿で毎日元気好く登校するツインテール娘と屋敷の胃袋を預かる小さなお母さん(?)の顔がポワンと頭に浮かぶほのかだった。
 その一方で。

「は、初めて? 濃密な夜ぅ!? あ……貴女達は……会社でナニを大声で……」

 背後から副所長のナニやら怨念めいた呟きがず~っと聞こえ続けているが、ほのかは知らん振りして話を戻す。
 この女上司は三十六歳の独身だけあって(だからこそ?)、エッチぃ話に過剰反応するのだ。

「で? どうする? 澪ちゃんはキャプテン昇格プログラム、受けるかい? それとも一生、コ・パイを通すかい? 選ぶのは澪ちゃんだ。オレ達は澪ちゃんの下した結論に異議は出さないし、会社からのペナルティも下さない。だから澪ちゃんが思うまま自由に決めると好い。今、結論出せないなら、じっくり考えてからでも好いぞ?」

 最後の一押しとばかり、ほのかは澪に向かって柔らかな笑みを向けた。

(ここは、澪ちゃん自らの意志で立ち上がって貰わないとな。他から強要され渋々任に就く、と言う形だけは絶対に採らせてはいけないからな)

 すると、ほのかの熱い想いが通じたのか、それとも腐女子がバレて自棄に(?)なったのか、澪はすっかり開き直って高らかに宣言した。

「あぁもう! 判りました。判りましたよ! お受け致します! 受ければ好いんですよね、受けてやりますよ! 受けてやろうじゃありませんかっ!」

「……なんで偉そうに言う?」

「――って、ほのかさんが言うよう仕向けたんじゃありませんかっ! ええ、やってやりますともっ! こうなったら、世界でナンバーワンの腕前を持つビジネスジェットのキャプテンになってみせますっ!」

 完全に我を忘れ、鼻息荒く拳を振り上げ咆える澪。
 この時、事務所中から「お~~」と言う感嘆の声とパチパチパチと拍手の渦が沸き起こったが、それはさておき。

「オレが仕向けたんじゃ無いけど……でもまぁ、言質取ったぞ♪ これで澪ちゃんは晴れてキャプテン候補生だ!」

「ハイッ! よろしくご指導願いますっ!」

 思惑通りにコトが運んでホクホク顔のほのかがニコリ(ニヤリ?)と頷き、晴々とした表情の澪がペコリと頭を下げると、待ってましたとばかり背後から声が掛かった。

「さて! 話は無事着いたようだし、早速、教官パイロットには大事なお仕事、して貰いましょうか♪」

 ついさっきまで「エッチぃ度合い? どうやって計る!? 猫達って何?」とブツブツ言いながら頭を抱えていた副所長が、ほのかに向かって招き猫みたく左手で手招きする。

「ん? 仕事?」

 怪訝そうに席を立ち、副所長の前に進み出るほのかに、アルカイックスマイルで迎える女上司。
 しかし、その見覚えのあるニコ目を見た瞬間、ほのかは反射的に二の足を踏むが――時、既に遅し。
 何しろ、ほのかの机から副所長の机まで徒歩二歩分の距離しか無いのだから。

「ハイ、これ。明日積むミールの確認、頼むわね♪ 返却するカートは整備(メンテ)の面々が車に積んでくれたわ。好かったわね~、重くて嵩張るカート、自ら積まずに済んで♪ 何たって、今日は二機分八カート、あるからね~」

 重みのある分厚いバインダーを目の前にずいっ、と出されたから、つい、反射的に受け取ってもしまった。

「え~~~~~っ! ま、またオレが行くのかよ~。しかも八台だってぇ!? 総重量四百キロじゃん。しかも降ろす時はオレが降ろすんだけど……って、これこそメンテの連中にやらせるか運転だけ総務のお姉さん達に――」

「ごめんねー。今月一杯はどちらも無理! メンテ組は先週までのハードフライトの後始末中だし」

 最後まで言わせないとばかり、キッパリ言われてしまった。

「あ゛。……そうだった。二機とも三週近くフル稼働させたから、明日のフライトを除いて今週一杯は点検整備中なんだった」

 言葉を詰まらせたほのかが、それではと総務係の集うデスク島(机が二列三人向かい合わせになっている)を見ると……。

「うっわー、相変わらず額に汗浮かべて殺気立ってんな。……ん? チョッと待て。締めは確か……先週で終わったんじゃ無かったのか?」

「今度は通常の月締めよ。先週迄は上半期。今週からは今月の数字に追われてるのよ」

「オイオイ……。ここ七週間、ずっとあの調子じゃんか。残業も連日二時間近くしてるし、身体、壊すぞ? で、こっちに新人(助っ人)はまだ来ないのか? 晶に言ってあるんだろ?」

 指サックを嵌めた白く細い指が伝票の束を物凄い速さで捲りソロバンやら電卓を目にも留まらぬ高速で弾く六人のお姉さんに、同情を禁じ得ないほのか。
 同じ女として、いつ逢い引きしてるんだろう、などと要らぬお節介を思い描いてしまう。

「彼女達には来月になったら交代で連続十四日間の有給を別枠で与えてあるから大丈夫よ。人員補強に関しても連日、晶さんに言ってはあるわ。そりゃ、私だって同僚の不遇をいつまでも見て見ぬ振りは出来無いもの」

「なら、何とか休めそうだな。好かった好かった♪」

 心底、安堵の息を吐(つ)くほのか。
 総務の仕事場は地上、自分達パイロットは空の上とまるで違うが、同じ職場仲間として思い遣る心は健在なのだ。
 そんなキャプテンの声と心意気が届いたのか、にこやかに手を振り感謝を伝える総務のお姉さん達だった。

「ま、これはこれとして、助っ人だが晶のトコに新卒二人、今朝入ったって聞いたぞ?」

 ほのかの眇められた切れ長の瞳――どういう事だ?――が副所長を捉えると、十歳上の副所長はまるで動じる事無く、むしろ目を丸くした。

「あら、耳が早いわね。その通りよ。何でも、人事部イチ押しの二人で社長のお墨付き、なんだって。で、その社長が配属日を前倒しして晶さんのトコに就かせたそうよ」

「ちっ! 晶のヤツ~~~、コネ使って自分のチームに優良物件、引き抜きやがったな~~~っ」

 舌打ちし握り拳をプルプル震わせるほのかのおどろおどろしい声が事務所に響くが、副所長が宥めるように言う。

「それがね、そうでも無いみたいよ。晶さんは新卒二人が入る事、今朝まで全く知らなかったそうよ。なんでも、社長恒例のドッキリで今朝まで内緒だったんだって。だから、そうカッカしなさんな。晶さんもある意味、被害者よ」

「あ、あの布袋様……か。そりゃ晶も災難だったなぁ、ご愁傷様――なのか? けどまぁ、アレでよく会長とか社長、務まるよなぁ。現代日本の七不思議だぜ。下にいる者にとっては、とんでもねぇ疫病神じゃね?」

 経緯(いきさつ)を知ったほのかは髪が乱れるのも構わず頭をボリボリ掻きつつ脱力し、晶にちょっとだけ同情すると共に社長のバイタリティに思いっ切り苦笑いしてしまった。
 副所長も同意見なのか、強くは否定して来ない。

「あ……あはは……。自分トコの社長掴まえてその言い方はどうかと思うけど。でもまぁ、ドッキリ仕掛けられた晶さんは戸惑ってるかもしれないけど、人員補充と言う点では向こうも人手不足でピーピー言ってたから渡りに船ね。社長も、先ずは地盤固めから――って感じで配置したんじゃないかしら?」

「そう言われると反論のしようも無いが……それでも、他に何人か新人採ったんだろ? だったら人員不足の現場(こっち)に一人でも回すのが筋じゃねぇのか?」

「ほのかちゃんのお怒りはごもっとも、なんだけどねぇ。でも知っての通り、ウチの会社は共同出資先が四つもあるから、それぞれ親会社の人事がある程度絡んで一筋縄ではいかないみたいなのよ。だから、いくら現場で怒ったり愚痴ったり声高に要求しても、なかなか……ね」

 申し訳無さそうに眉を下げる副所長に、ほのかは小さな溜息を吐(つ)く。

「有能な新人の奪い合いになってる、ってか。そーゆートコは融通が利かないんだな、日本の企業は。ま、所詮、外資系企業と言えど、中身は私利私欲に走るコテコテのジャパニーズ、ってコトか。いっそ、プロ野球のドラフトみたく本人の希望をガン無視してクジで配置先、決めちまえば?」

 揶揄するほのかの碧眼がチラリと事務所奥で陣取る大黒様似の所長に向く。
 ここ羽田にいる大黒様は、丸の内に詰める布袋様と同期の間柄なのだ。

「そ、そんなジト目で見られても……ワシは聞いとらんぞ! 社長(アヤツ)からここに新人が来る話など聞いとらんぞ! それにワシからも連日、人員補強を訴えておるんじゃ! だからそんな冷たい目で見ないでくれぇ!」

「ま、好いけどさ。でも、本気(マジ)で人的増強、考えないと後々響くぜ? 『国家百年の計、企業十年の計』って言うじゃん。優秀な人材を見つけ、安定確保し、次世代に繋げるようノウハウを持った人間として大切に育て上げるのも企業の重大な責任だぜ? でないと、ゆくゆくの利益と繁栄に繋がらないし、企業や産業そのものが先細りしてく一方だからな」

「判ってるわよ、その位は。実際、幾つもの一部上場の大手企業が慢心していつの間にか外資や同業者に吸収され(乗っ取られ)たりCEOに適任者がいなくて自滅消滅したりしてるもの。判ってはいるんだけど……ねぇ」

 諦めたように肩を竦める副所長と机に額を押し付けんばかりに平伏し頭上で両手を合わせる所長に、ほのかも思わず笑ってしまう。

「だったら、ウチらだけの権限で人員募集、掛けたら好いじゃん。『国籍、年齢、性別、学歴、各不問。求む即戦力! 来たれ地球人! 高給待遇! 委細面談♪』って、会社のホームページにアップしたり新聞の折り込みチラシ作ったりして広く周知したらどうだ? 案外、磨けば光る宝石、その辺に転がってたり埋まってたりするかもよ?」

「あ、あのね~、いかがわしいお店の募集じゃ無いんだから――」

「ま、今は無いモノねだりしても仕方無いか。んじゃ、ちょっくら行って来るわ。澪ちゃん、明日の準備、宜しく♪ 昼メシまでには帰って来るわ」

 募集文句に思いっ切り脱力したらしく、上司から突っ込まれる前に素早く身を翻したほのかは、澪に顔を向けつつ車が停めてあるハンガーへ足早に向かう。

「へ? あ、は、はい! 了解しました。いってらっしゃい!」

 上司同士の漫談(?)を食い入るように魅入っていたらしく、澪は慌てて返答した。

「さて、空港の反対側まで気ままなドライブしますかねぇ。そんで試作品のミール、また食わせて貰おうっと。運が好けりゃファーストクラスのミール、テイスター(味見役)としてありつけるからな♪」

 文字通り、ミールカート返却に味を占めつつあるほのかは、澪をキャプテンにするべく教官パイロットとして日々を過ごす事となった――。


     ☆     ☆     ☆


 宏がバイト先から自由契約を喰らい、晶が新人二人に苦心惨憺し、ほのかがファーストクラス用メインディッシュの試作品――仔牛のフィレステーキ~フォアグラ添え――を自分だけ味わって職場の面々から総スカンを喰らっていた頃。

「え~~っと、次はトラックの連中か」

 首から下げたストップウォッチ二つを豪快に左右に揺らしつつ、グランドを小走りで移動する夏穂。
 最近は夕方になると涼しい風が吹くので長袖長ズボンのジャージを纏っているが、今は暑くて堪らない。
 腕捲りをしているものの片手に記録用のバインダーを持っている事も手伝って次第に息が荒く乱れ、太腿も上がらなくなって来る。

「まったく、ウチが想定した順番なんて、あって無いような状態になってるし! あっちこっちで引っ張りだこになって……ホント、人気者は辛いわ♪」

 夏穂は当初、部活開始直後は十人近い新入生部員に陸上のイロハ(基本フォームや用語など)を教え、次にフィールド競技(ロングジャンプとハイジャンプだ)の部員達を指導し、最後にトラック競技(短距離と中距離だ)の部員達の相手をしようと考えていた。
 しかし。

「夏穂センセ~、ちょっと教えて~♪」

「夏穂先生、コーナーリングの走りについてお尋ねしたいのですが?」

「あ、あの、基本フォームで判らない点があるのですが……」

 従来の三年生は最後の大会を控えた所為か真剣に手を振り、二年生部員はそんな上級生の邪魔にならぬよう顧問に教えを請い、新入生も真摯に取り組んでくれている――。
 そんな生徒達から常に声を掛けられ縋るような瞳で頼りにされれば、当初考えた順番が無意味となるのは必至だった。
 現に、

「夏穂先生、四百メートルのタイム計測で人手が足りないので至急手伝って下さい!」

 との要請を受け、ロングジャンプの指導を一時中断し(要所のみ教えてあとは自分達で考えさせた)、グランドの反対側にあるスタート地点へ向かっている最中だった。
 見ると、既にマネージャー二人と部員十数人がウォーミングアップしつつ顧問の到着を今か今かと待っている。

「あ~~~、ホント、もうひとりウチが欲しいわ! これじゃ教え方も半端になっちゃう!」

 夏穂は夏休み直前に顧問に就任してから、四十数名いる部員達の指導に猫の手も借りたい程、忙殺されていた。
 何しろ、教える生徒達は高校に入ってから陸上を始めた素人ばかりなので、上級生と言えど、下級生に教える技術までは持ち合わせていなかった。
 結果、顧問である夏穂に全て皺寄せが来る形になってしまうのだ。

(こりゃ、陸上経験豊富な宏クンにコーチ、本気(マジ)でやって欲しいわっ! こ、このままじゃ、ウチが持たなくなっちゃう!)

 生徒達から呼ばれる度に、一周四百メートルの八レーントラック(しかも全天候タイプで障害レース用の堀まである)が優に納まるグランドを小走り(本人は全力疾走)で向かうので、その度に身体が悲鳴を上げるのだ。
 夏穂は胸を揺らし(八十四センチのDカップが重たそうに上下している)、ゼイゼイと荒い呼吸のままスタート地点で待っていた生徒達の元へ(やっと!)辿り着いた。

「夏穂先生、おそ~い! 待ちくたびれちゃいましたよ~」

「し、仕方無いでしょ! ぐ、グランドの……端から端まで……だ、ダッシュする、ウチの身にもなってよね!」

 両膝に手を付き、息は切れ切れ、心臓はバクバク、脚もガクガク、滴り落ちる大量の汗がダラダラ――そんな情け無い姿のまま不平不満をぶちまける夏穂。
 首の後ろで纏めたセミロングの髪は所々ほつれ、大汗掻いていつまでも荒い息を吐(つ)く姿は、とても陸上部顧問には見えない。

「夏穂センセ、相変わらず豪快にオッパイ揺らしまくってたわね~♪ あたしらと違ってジャージごとブルンブルン上下に揺れてるの遠目からでも判るんだモン。そんなお宝、一度で好いから思いっきし揉んでみてぇ~♪」

「ちっ! 胸なんてただの脂肪の塊だぁ! 凹んじまえ~萎んじまえ~」

 もはや息が完全に切れ、生徒の羨む視線と一部の呪詛(?)に反応出来無い程にへばってしまった。

「夏穂先生、完全に運動不足ですって。せめて毎日、私達と一緒にアップとストレッチすれば、かなり違いますよ?」

 見かねた心優しい部員数人がタオルを渡しつつ慰めるように言えば、ませた生徒も多数いる訳で。

「夏穂センセ、新婚生活に忙しくて運動どころじゃ無いのかもしれませんね~。あっ♪ ひょっとして『夜の運動』――」

 生徒達は半年前に夏穂の左手薬指にプラチナリングが嵌められたのを漏れ無く知っているので殊更、ニコニコ、ニヤニヤしているのだ。

「う、う、五月蠅い! こ、高校生らしからぬコト言ってないで、さ、さっさとタイム、計るわよっ!」

 最後まで言わせず、夏穂は赤ら顔を誤魔化すように(でも内心は新婚と言われヘニャリと相好を崩した)、手にしたタオルを振り回す。

(まったくもう! 夜の運動なんて、見た目以上にハードなんだから! 特に宏クンの上に跨った場合はウェスト細くなってイイけど……って、イカンイカン! 今はそんなエロっぽいコト、考えてる場合じゃ無かった)

 つい、頭の中がピンク色に染まり掛けたがこれでも教師の端くれ、何とか目の前の生徒に集中する。

「それじゃ、四百のスプリント、三組に分けて四人ずつ計るわよ! 一番遅いタイムを出した組は四百のサーキット、ワンセットやって貰うからね!」

 するとたちまち、「え~~~っ!」とか「権力者の横暴だぁ!」などブー垂れる声が上がるが、そこは長年教師を務めた経験で、一瞬で文句を封じ込める。

「但し、ビリ組の中の最も速いタイムがトップ組のビリより速かったら免除してア・ゲ・ル♪」

 こうして、生徒達の活気ある雄叫びが日々放課後のグランドに木霊してゆくのだった――。


     ☆     ☆     ☆


 宏達社会人組がそれぞれ未曾有の危機や新たな展開に直面し奮闘していた頃。

「ふぅ~~~、ようやく完成したわ」

 女子大工学部の研究棟にあるとある一室では、縦横が二メートル近い大きさの机に向かって黒のゴスロリドレスを纏った長身の美少女が安堵の息を吐(つ)いていた。

「これまで培った知識の集大成! とまでは自惚れて無いけど、まずは上出来ね。あとはこれを加藤教授と柳田教授、木村准教授に見せて――」

 机の横幅一杯に広げた一枚の紙面を前に、栗色の長い髪をツインテールに結った美少女は満足気に微笑んだ――。


                                            (つづく)


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| 本編 | 新婚編 | 番外編 | 総目次 |

【 お寄せ戴いた御意見・御感想 】

[ 今度は夏帆先生か・・・ ]
前回に続き奥様方含め晶&ほのかの会社はてんてこ舞いですナ・・・・しかも今度は夏穂先生まで(>_<)

夏穂さんの要望通り、宏君が陸上部の臨時コーチに就任できれば失業問題もクリアできるのでしょうが…他の奥様達の嫉妬の炎が炎上間違いないですし難しい処ですね(=_=)

次回は美優樹ちゃんが主人公かな?

[ ]
なんかあちこちで修羅場になってきたんですが・・・
このままだと宏くんが就職難民じゃなく就職ハーレムに・・・
こうなると主婦組の動向が気になるんですが・・・(^^♪

部下・・・っていうか新人というか・・・結構大変なんだよね(^^ゞ
私の時代は結構厳しかったけどね・・・(^。^)y-.。o○
まったくぅ・・・最近の若いやつらは・・・(^_^メ)

[ 毎度ご贔屓ありがとうございます♪ ]
mさん
 コメントありがとうございます♪

 今現在(リアル)の教育現場も人手不足と適格者不足が深刻ですね。
 それこそ、夏穂先生のクローン(?)が数千人単位で必要な位に……。(^_^;)
 しかし、ここ(拙小説)ではそんな心配も無く、面白可笑しく学校生活が過ごせて羨ましい限りですね。(^o^)ノ

 いつもご愛顧戴きありがとうございます♪ m(_ _)m

 -------------------------------------------------------------

草薙さん
 コメントありがとうございます♪

 ご当主たる宏の動向も気になりますが……どうなるんでしょう、作者にも判りません! (オイッ!)
 
 少し前(?)、新人類と言われた世代が今や中間管理職世代になっている時代ですね。
 そんな人達が更なる新人類(もはや宇宙人?)をどう育てているのか……見もの、ですねぇ。(^^ゞ

 毎度応援ありがとうございます♪ m(_ _)m
 

[ 偶然にも知りました ]
何故か『屋根裏部屋』に富んでみたら、今日5月15日が
昌と優の誕生日なのだとか。
個人的には昌はどうでもいいけれど(オイオイ)、
優には『誕生日おめでとう』と云わせてもらいましょう、
ところで今は幾つになったのでしょうか?
掲載開始からの時間と、作品内での時間の経過は
全くシンクロしていませんよね。
作品内では何年経ったのかなぁ???

[ 毎度お越し戴きありがとうございます♪ ]
ぺんぎんさん
 コメントありがとうございます♪

 そしてお祝いありがとうございます♪
 本人達も喜んでおります♪ (^o^)ノ

 拙小説 「美姉妹(しまい)といっしょ」 シリーズを掲載し始めて今年で7年半経ちますが(初掲載は2006年1月)、物語の中では まだ1年半 しか経っておりません。

 当然、ヒロインズも一歳しか歳を取っておりません。
 作中での 「ブラブハ~レム生活♪」 と相まってなんて羨ましい(!)世界なのかと、作者本人すら思います。(^^ゞ
 
 とまれ。
 今後とも 「ライトHノベルの部屋」 を宜しくお引き立て下さいませ♪ m(_ _)m
 

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